現在の連合王国では憲法により信教の自由が認められているが、近世後期までは事実上オドゥト教が国教となっており、その時々の統治者によって他宗教は排斥されていた。現在でも国民の大多数はオドゥト教徒であり、集落の礼拝所レベルでは異教の排斥が続けられている場合もある。
大陸領土南部のフォンダルシア海沿岸部では、サッフィア系民族由来のプリツィオ教が少数ながら一定の勢力を築いている。
オドゥト教について
概要
オドゥト教は、ゲーサク系民族に古来から伝わる伝統的な信仰で、典型的多神教の特徴を示す。民族的要素の強い伝統的な宗教の例に漏れず、宗教的な行為と認識されない領域で生活習慣に影響しており、しばしば無宗教と自覚する者も見られる。
「オドゥト」とは本来は神話世界における最高神あるいは主神とされる「戦いと死の神」の名であり、信仰そのものに対して古来から使用されていた呼称ではない。主にプリツィオ教などの高度に組織化された他宗教との接触に伴って与えられたレトロニム的呼称である。
元来ゲーサク系民族の多数が文字を持たなかったこと、長らく統一的な権威が存在しなかったことにより議論の必要性が薄かったことなどから、その歴史の長さに反して文書記録は少なく、特に中世中期まではほとんどの場合、各地に口伝の形式でのみ神話や儀式が継承されていた。
スロシェーテ王国が版図を広げ、他民族を吸収していくに従って、「スーイェ/スーヨ (Sugö)」と呼ばれる叙事詩や「ヴェーダ (Väda)」と呼ばれる散文の形式で伝承が纏められ、古来の信仰を研究するための最重要資料として、あるいは「ゲーサク人の神話」という一連の物語群として、またある種の聖典として、用いられるようになった。
近世に入ってから急激に組織化が進み、現在は連合王国首都でもあるオプズィヤの大神殿に座する最高位司祭を中心にした管理体制が構築されている。
儀式
オドゥト教においては、主に祈祷の儀式によってその信仰を表現する。儀式の形式には様々なものがあるが、最も一般的なものは生贄であり、副次的あるいは補助的なものとしては歌唱、舞踊、模擬戦などが広くみられる。この他それぞれの神々の特性と関わる独自の儀式があり、同じ司祭の手によって行われる儀式であっても、時と場合によって、すなわち祈願する内容と状況によって、儀式の内容は全く異なるものとなることがほとんどである。
オドゥト教における最も重要な儀式が、9年に1度、11月1日にオプズィヤ大神殿で行われる「大犠牲祭」である。これは9年間の豊穣と繁栄を感謝し、この先9年の豊穣を祈願し、また主神オドゥトの怒りを受けぬように生贄を捧げるもので、この日は各地の司祭が大神殿に参詣する。
近世初期ごろまでは他所で捕らえた異教徒などを生贄に捧げていたが、次第に異教徒の捕縛や処刑が大規模な外交問題に発展しやすくなり、17世紀末には家畜を捧げるようになった。